在宅医療を長く続けてきた院長が、家で看取れないご家族のために用意した「もう一つの家」
在宅医療に携わって、三十年あまりになります。これまで数多くの患者さんの、ご自宅での最期に立ち会わせていただきました。その数は、約五千人にのぼります。
畳の上で、見慣れた天井を見上げ、家族の声に囲まれて旅立っていく。そういう最期を何度も見てきて、私は「家で迎える自然な最期は、こんなにも穏やかなものか」と、いつも思わされてきました。住み慣れた家には、その人の匂いや、なじみの椅子や、長年の暮らしの気配があります。それが、ご本人を最期まで支えてくれるのです。
だから私は今も、「家で最期まで」と願う方を、訪問診療で支え続けています。この気持ちは、これからも変わりません。
けれど現実には、すべてのご家族が「家で最期まで」を叶えられるわけではありません。共働きで、家に誰かがいられる日ばかりではない。介護するご家族自身が高齢だったり、体を壊していたり。夜、安心して眠れる日が、もう何ヶ月もない。——そういうご家庭を、私はいくつも見てきました。そして「本当は家で看取りたかった」と涙を流されるご家族にも、何度もお会いしてきました。
これは、誰のせいでもありません。ご家族が責められることでは、決してないのです。
では、家で看取ることが難しいとき、残された道は病院しかないのでしょうか。私には、ずっとそうは思えませんでした。病院は、治療をする場所としては心強い。けれど面会の時間は限られ、住み慣れた匂いも音もありません。いわば「生の修理工場」であって、暮らしの場ではないのです。
家が無理なら、せめて家にいちばん近い場所を。看取られるための施設ではなく、最期まで「暮らす」場所を。——そう考えてつくったのが、住宅型有料老人ホーム「我が家中国分」です。「我が家」という名前は、私たちの覚悟そのものです。
世の中には、たくさんの介護施設があります。その多くは、安全のために、よく考えられた仕組みで運営されています。転ばないように、事故が起きないように、と。
ただ、私は長く現場を見てきて、ひとつ気がかりに思ってきたことがあります。「安全第一」を突き詰めていくと、いつのまにか、その人が「その人らしく生きること」のほうが後回しになってしまう——そういう場面が、起こりがちなのです。
転ぶといけないから、歩かせない。むせるといけないから、自分では食べさせない。よかれと思って手を貸しすぎると、その人が本来持っていた力は、少しずつ使われなくなっていきます。「してもらう」ことに慣れると、「したい」という気持ちそのものが、薄れていってしまう。
私が「我が家」でいちばん避けたかったのは、それでした。
「我が家中国分」のいちばんの自慢は、入居されている方々の目が、生き生きしていることです。
なぜ、生き生きしているのか。少し変わった話に聞こえるかもしれませんが、理由のひとつをお話しします。
「我が家」の玄関には鍵がついていますが、かけるのは夜だけです。しかもその鍵は、レバーを上げれば、誰でもすぐに開けられます。居室にも、センサーの類は置いていません。出入りを感知する装置や、ベッドから降りると鳴るマットは、ご本人の人間らしさを、少しずつ奪ってしまうと考えているからです。
言ってしまえば、隙だらけの住まいです。それでも、これまで黙って出て行って戻れなくなった方は、一人もいません。
私たちが大切にしているのは、たった三つのことです。徹底的に、寄り添うこと。その人の中に残っている力を、呼び覚ますこと。そして、できるだけ「管理している」感じを出さないこと。
寄り添うというのは、片時も離れず見張ることとは、まったく違います。大切なのは、体に張りつくことではなく、その人の「気持ち」に寄り添うことです。家に帰りたい。もう一度歩きたい。ぼけていくのが怖い。ひとりが寂しい。——胸の内は、人によってさまざまです。その気持ちに、まず耳を傾ける。そして、たくさん話しかける。向こうから話し出してくれたら、最高です。
入居されたばかりの頃、玄関のそばに来ては「そろそろ家に帰ろうかな」とおっしゃる方がいました。ときには、本当に外へ出ていかれることもあります。
そんなとき、私たちは「出てはダメ」とは言いません。ましてや、力ずくで引き止めることは、絶対にしません。そっと後をついていき、少し歩いて、ご本人が疲れて、ふと心細くなってきたころを見計らって、「そろそろ帰りましょうか」と声をかける。すると不思議と、「いやだ」と言われることは、ほとんどないのです。
帰りたい気持ちを、まず受け止める。否定しない。そうしているうちに、その方の中に「ここが、私の居場所だ」という感覚が、少しずつ育っていきます。気がつくと、もう玄関に向かわなくなっている。そういう方を、私は何人も見てきました。
ほとんど口をきかない男性の方がいました。一日中、廊下を行ったり来たり、静かに歩いて過ごしておられました。その方が、同じ階のある方の部屋に、ときどき立ち寄っていたようなのです。二人が話しているところを、職員は一度も見たことがありませんでした。
やがて、その歩いていた方が、老衰で穏やかに旅立たれました。
我が家では、ご家族の希望があれば、いつも過ごしたあのリビングで、お別れ会をします。スタッフも、ほかの入居者も、ご家族も、みんなで送る。ほかの方に気づかれないよう裏口からそっと、ということはしません。迎えたときと同じように、送り出したいのです。
お別れ会は、不思議な時間です。そこでは決まって、誰も知らなかった、その人の物語が語られます。あの歩いていた方のときも、そうでした。普段ほとんど口をきかなかった、同じ階のあの方が、ぽつりと言ったのです。「あいつ、いつも俺の部屋に来てさ、腹をすかせてるみたいだから、バナナをやってたんだ」と。——スタッフは、二人が言葉を交わす姿など、一度も見たことがなかったのに。その方のお別れ会で、ご親族が言いました。「身寄りの少なかった叔父が、ここでこんなに愛されていたなんて」。職員はみな、泣いていました。
送り方は、その人によって、まるで違います。
酒屋の旦那だった、ある陽気な方。生前は、誰かのお別れ会で家族が涙ぐむと、「しっかりしろ!」とヤジを飛ばして、みんなを笑わせるような人でした。その方自身のお別れ会では、いつも憎まれ口を叩き合っていた若いスタッフが、「いじりすぎて、ごめんなさい。大好きでした」と泣きました。トレードマークの前掛けをきりっと締めて、その人は表玄関から、堂々と旅立っていきました。「さよなら」より、「いってらっしゃい」がよく似合う、そんなお別れ会でした。
百一歳で旅立った方の見送りは、万歳三唱でした。ご近所の方は、さぞ面食らったことでしょう。それでも私たちは、その方の見事な人生に、そうやって拍手を送りたかったのです。
院長は、お別れ会を「その人の人生の、集大成」と呼びます。その人がここで確かに誰かと生き、想われていたことが、最期に立ち上がってくる場だからです。
不思議なもので、こうして仲間を見送った入居者の方が、こう漏らすことがあります。「こんないい顔で、安らかに逝けるなら、怖くないわ」と。最期を隠さず、みんなで送る。それは、残されたひとりひとりの不安まで、そっとほどいていくのだと思います。
寝たきりになっても、個室に閉じこもって過ごすのではなく、みんながいる場所で、いつもと同じ空気の中で横になっていられる。耳に馴染んだ人の声、生活の音、流れる空気——その中に身を置いていられること自体が、ご本人の安心になると、私は考えています。
ある男性の方は、最期の数日を、ご家族と、長年通われた仲間たちに見守られながら過ごされました。離れて暮らすご家族も泊まり込み、同じ屋根の下で、濃い時間を過ごされました。
亡くなったあと、あるご家族が、こんなことを話してくださいました。先に別の場所で身内を亡くし、その死にずっと心のしこりを抱えていた。けれど、この最期にゆっくり付き添ううちに、そのしこりまで、すうっと溶けていったのだ、と。
看取りは、旅立つご本人だけのものではありません。残されるご家族にとっても、かけがえのない時間です。だから「我が家」では、面会にも付き添いにも、時間の制限を設けていません。
ここまで、暮らしの話ばかりしてきました。もちろん「我が家」には、医療の備えがあります。隣には上田医院があり、私たち医師が訪問診療で伺い、急なときには往診もします。胃ろうや在宅酸素など、医療的なケアが必要な方も、住み慣れた居室で過ごし続けられます。
ただ、私が大切にしているのは、「できる限りの医療をする」ことではありません。むしろ、その逆のことを、よく考えます。
長く高齢の方を診てきて、痛感していることがあります。お体が自然に弱っていく時期に、よかれと思って検査や処置を重ねたり、あちこちへ連れ回したりすることが、かえってご本人を苦しめてしまう場合がある、ということです。弱ったお体には、ときに、ほんの少しの水分や栄養のほうが、楽なこともあります。
もちろん、必要な医療はきちんと行います。そのうえで、何をどこまでするかは、いつもご本人のお体の状態と、ご本人・ご家族のお気持ちを、いちばんに考えて決めていきます。「自然なかたちで過ごしたい」という願いも、「できる限りのことをしたい」という願いも、どちらも同じように尊重します。
医療を「足し算」し続けるのではなく、ときには「引き算」もする。それが、その人らしい暮らしを守るための、私たちの医療です。
家で看取ることができるなら、それがいちばんです。そのときは、その尊い時間を、私たちが全力で支えます。
そして、もし家で看取ることが叶わなかったとしても、どうか、ご自分を責めないでください。ご家族なりの精一杯の選択を、私たちは心から尊重します。そして、その選択を支えるために、「我が家」はあります。
施設に入ったら、もう家ではない——そうは考えていません。ここを「もう一つの我が家」として、最期まで暮らしていただきたい。それが、私の願いです。
行き詰まりを感じておられるご家族がいらしたら、まずはお話を聞かせてください。「家で看取るために何ができるか」というご相談でも、「家では難しいかもしれない」というご相談でも、かまいません。一緒に、いちばんよい道を考えさせてください。
――上田医院 院長 上田 聡