市川で開業させてもらって来年で20年になろうとしている今日この頃ですが、いろんなことがありました。
住宅街での開業、当初はあまりにも暇だったおかげで読書の時間が増えました。(いままで読書をしてこなかったつけを解消したかな?)今では老眼も進み、なかなか読書もできなくなりました。かわりにユーチューブ三昧となりました。
訪問依頼を受け、自転車で訪問(当時は自転車、今は車)家の主は癌末期、ところが家に行くたびに大音量でジャックルーシェさんという方のG線上のアリアを聴かされ、そうこうしているうちに寝たきりになり音楽は卒業、そして旅立ち。「あー自宅での自然死ってこんなにも良いものか」と感動、以後はこれがライフワークとなりました。
「老衰と書いてある死亡診断書を初めて見た」とベテラン?葬儀屋さんに驚かれたこともありました。ある先生が科学雑誌に「老衰」って書くのは外道だと断じていました。しかしその後日本人の死因に老衰がランクイン。また病気の原因を「年のせい」とするとマスコミから叩かれた時代もありましたね。今は「年より病なら仕方ないね」とおっしゃってくださる方も増えた気がします。
老人ホームの入居者って、なんで目が死んでいる?うつろなの?それは仕方ないことなの?と疑問になり、自分で老人ホームを始め、いろいろ仕掛け;意欲を削がない(これは非常に難しい、歩きたい意欲、まだできるという気持ちとどういう風に付き合うか、ダメと言う言葉は禁句)、入居者同士の横の関係の構築、スタッフ主導で会話の誘導、役割を与える、コールに頼らない、その他いっぱい、を施したら、うちの入居者の目は最期まで死なないことが解かりました。
認知症を患った方に、昔話を毎回、同じ話を繰り返し何回も話して、話題を膨らませていくと、いつの間にか自分がその方の過去に登場してしまうことがあることを発見しました。「この先生は戦前からのお友達」になり、「あなたは60代の息子の小児喘息を治してくれたのよ、ありがとう」となり「70年前、川崎のラーメン屋(患者さんが昔やっていた)に通っていた」となり、「滋賀県からの付き合いのある先生」になったりしました。
患者さんとの会話も変わりました。「早く死にたいの」と患者さんに言われて返答に困った時もありましたが今は「今、あっちは混んでいるからね、閻魔様に予約の電話いれておくね」とか「三途の川のほとりまでは一緒に行ってあげるけど、、その先は五円玉握って一人で行くのだよ」とか、いろいろ会話の引き出しも増えました。「えー先生一緒に渡ってよ」と返されドキッとすることも。
仕事以外に趣味があまりない自分は、仕事辞めたら呆けてしまうのか?おむつ履いて、うっすらと尿臭がかおる哀愁を漂わせ、こちらから距離を縮めようと近づいていっても距離が縮まらない診察空間で過ごすことになるのか?まあ自然体で臨みます。