認知症(痴呆)肯定論

2017年04月07日

その1;こだわりが消える。好きだった趣味に興味がなくなる。

その心は;「この世に未練はない」と言うための準備期間です。プラスに見ていきましょう。「今日は何日、何曜日か」などと聞くよりも過去の美談に花を咲かせましょう。

 

その2一人で居ても飽きない

その心は; 周囲に無関心になるので自分の世界に入って、1日中忙しく誰かと会話したり仕事しているつもりになったり空想していることが多くなります。しかし逆に関係性が稀薄になることにより不安と孤独感が出ることがあります。その場合は人とのかかわりが必要です。デイサービス等を利用して安心を与えてください。

その3過度な精神的苦痛から解放される

その心は;癌や心臓病など、命に直結する病気を患っても過度な心配に陥ることがなく自然体で過ごすことが出来ます。過度な心配は病状を悪化させます。この過度な心配がないことで、特に終末期においては安楽に過ごすことが出来ます。

 

その4笑顔が素敵になる

その心は;一昔前は「恍惚の人」などと言われたように、なにか憑き物が取れたような、わだかまりが消えたような、現世の苦しみから解き放たれたような、そんな感じを受けます。たまにのぞかせる満点の笑顔に介護疲れが癒されることでしょう。

 

私、思いますのは、認知症という状態は、この世(この忙しい現代社会)からあの世(あるのなら)に行くための移行期に見られる現象ではないかと。なぜなら、突然にこの世から去るのは未練がたっぷり。少しずつ忘れていき、現代社会から離れ、いい思い出に耽り、ゆったりとした時間を過ごし、そして旅立つ。そう思えれば認知症に対しての見方が少し前向きになるのではと思う今日この頃です。

在宅医療において「覚悟」とは

2017年04月01日

発言;医師に「どこで死にたいですか」と言われて精神的ショックを受けました。癌を患って入退院を繰り返し10年です。「死ぬ覚悟はできていました」しかし希望に満ちた在宅医療を期待していたのに残念です。それから3ヶ月で亡くなりました。ある有名人(故人)の妻の発言の要約

 

質問;「どこで死にたいですか」は不適切な発言ですか?

答え;「死」について考えたことがない患者さんに唐突にこの発言をした場合はショックを受けるかもしれません。

 

質問;癌で入退院を繰り返している患者さんの場合はどうですか?

答え一度は考えていただいた方がよいと思います。現在日常生活が普通に行えていると思っている方も癌を患っている場合には、ある日を境に日に日に衰えが目立ってくる時期が必ずくるからです。その時どこで過ごしたいかは非常に重要な事です。住み慣れは自宅で過ごすことが一番よいのは勿論です。

 

質問;希望に満ちあふれた在宅医療とは何ですか?

答え;各専門医をそろえ、病院と同じよう医療(延命を目指し)が在宅でできるという希望だとしたらそれは幻想です。「希望に満ち溢れる」のは残り少ない在宅での日常生活を充実して過ごすという希望です。在宅医療は、その生活を心地よく過ごさせるために必要な医療を提供するということです。しかしそのためには「どこで死にたいですか」の質問は必ず必要です。「覚悟」とはそのことです。

在宅医療とは「生活を支える医療です」と言われて「なるほど」とは思えない。足りないものがあります。それは、自宅で過ごす人の終末期を見据えた、そして終末期に寄り添った、つまり同じ方向に寄り添った、はっきりいうと「死」を見据え、肯定し、徒な延命をしない、その時点時点での体に合わせた医療を提供すること、ちょっと長いですがこんな医療が在宅医療だと僕は思います。